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アレキサンダーのトップの在り方


こんにちわ 高校講座香坂ナッツ好です。本日は歴史の偉人伝です。

紀元前338年、アレクサンドロスは一軍の将として父に従ってギリシアに出兵しカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破る。これが彼の初陣であったが、このときアレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いてギリシア軍を壊乱させ、マケドニアの勝利に大きく貢献した。

20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、敵対者を排除してマケドニアを掌握すると、トラキア人と戦うためにイストロス川方面に遠征して成功をおさめ、その隙に反旗を翻したテーバイを破壊し、父王暗殺後に混乱に陥っていた全ギリシアに再び覇を唱えた。

紀元前334年、小アジアに渡ったギリシア軍30,000はグラニコス川の戦いで小アジア太守の連合軍4万と対峙した。この時派手な甲冑を身に纏っていたアレクサンドロスは騎兵の先頭に立ち、自ら馬を駆って突進すると敵将ミトリダテスを投げ槍でしとめた。この印象的で鮮やかな勝利によって、アレクサンドロスは味方将兵の信頼を得るとともに敵に対しては計り知れない恐怖心を与えることになった。

Battleofissus333BC-mosaic.jpg
とにかく 20歳の頃からの特攻隊長で尊敬します。

当時での勢力はかなりのもので、あとこちに伝説の人として残っています。

800px-MakedonischesReich.jpg支配圏は 最大←まで広がり

バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画していたが、ある夜の祝宴中に倒れ、10日間高熱に浮かされ
「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言し死去してしまった。

このためもあってか、彼の遺将たちは大王の遺言に忠実に「最強の者が帝国を継承」しようとして覇を争うことになる。

最後まで いわゆる豪傑な 死に方です。

アレクサンドロスがペルシア領であるリュディアの州都ゴルディオンを占領した時(紀元前333年)、町の中心にあるゼウス神殿に一台の古い戦車が祀られていた。その戦車は“ゴルディオスの結び目”と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられており、「この結び目には解いたものがアジアの支配者になる」という伝説が伝えられていた。その伝説を耳にしたアレクサンドロスは腰の剣を振り上げ、一刀のもとに結び目を切断し
「運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものである」
と兵たちに宣言した。

何がいいたいかと言うと この人は率先模範の人なんですよね・・

方法論や戦術論は 確かに必要ですが 戦闘の基本は人間なので 部下の信頼をどれだけ持てるかが一番の基本です。当時のギリシャでは軍の将が先陣に立つのは基本だったのですが、特攻しても死なないほどの強力な力と 部下からの強烈な信頼があったので大勢力になれたんじゃないかな?

最後にエピソード

インド遠征からの帰路、アレクサンドロスの本隊は不毛なゲドロシアの砂漠を行軍してペルシア本国へ向かった。兵士たちが飢えと渇きに苦しんで倒れていくなか、一人の兵士が王のために一杯の水を見つけてきた。しかしアレクサンドロスは「わたしは皆とともに渇きに苦しむほうを選ぶ」といって水を捨てた。

さて ROHANにはこういう英雄いるかな?w トランプでキングのモデルはこの人です。

香坂ナッツ好でした。 参考になった方は 拍手をポチです。

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