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マリアナ諸島
マリアナ諸島(Mariana Islands)はミクロネシア北西部の列島。東の北西太平洋と西のフィリピン海の境界に位置し、北には小笠原諸島、南にはカロリン諸島がある。南北約800キロメートルに連なる約15の島から構成され、北緯13度から21度、東経144度から146度の間に弧状に広がっている。
南端のグアム島を除く島々を北マリアナ諸島、サイパン島より北の島々を北部諸島(Northern Mariana Islands)と呼ぶ。
全域がアメリカ合衆国領である。ただし、グアムと北マリアナ諸島は別の行政区画である。地位も違い、グアムは準州、北マリアナ諸島は米国自治連邦区(コモンウェルス)である。
歴史
もともとの住民は、チャモロ人である[5]。1521年にフェルディナンド・マゼランがこの島々を「発見」。マゼラン隊はこの島に立ち寄った直後にチャモロ人といざこざを起こし、彼らを虐殺している。
1667年に、スペインはこの島々を彼らの植民地、スペイン領「マリアナ島」とした。以後、入植人口が10万人に増えた一方、チャモロ人はスペイン人が持ち込んだ疫病で数を減らされていった。
米西戦争によってグアム島が1898年にアメリカ合衆国に割譲され、これ以降現在に至るまで、グアムは他の島と政治的に異なる立場となる。残る島嶼も2500万ペセタでドイツへ売却された(正式な領土化は翌年)。
1914年、第一次世界大戦が勃発し、連合国側についた日本軍はドイツ領マリアナ諸島に侵攻し、実効支配下に置いた。戦後発足した国際連盟によって、マリアナ諸島は日本の委任統治領と認められ、サイパン島を中心に日本人による殖産興業が進められた。
その結果、サイパン島、グアム島、テニアン島は太平洋戦争中、戦略上の要衝として、多くの民間人を巻き込んだ地上戦の舞台となった(マリアナ・パラオ諸島の戦いを参照)。またアメリカによる占領後のサイパン島、グアム島、テニアン島は日本本土に対する戦略爆撃の基地として利用された。
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