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チューク諸島

チューク諸島

歴史

チューク環礁に人類が辿り着いたのは西暦の紀元前だと考えられている。具体的なルーツははっきり解っていないが、現在のところ最も有力な説は、ソロモン諸島ビスマルク諸島方面からアウトリガー・カヌーに乗って北上してきた航海者たちがこの島々に住み着いたというものである。その後スペインの植民地となり、次いでドイツの植民地を経て、第一次世界大戦終結後の国際連盟決議にて大日本帝国委任統治領となり、南洋庁の支庁が置かれた。武装化は禁止されていたが、1933年国際連盟脱退、1936年のワシントン軍縮条約失効などにより、加速度的に基地の整備が推進され戦略上の要衝となり、第二次世界大戦の敗戦まで統治を継続した。日本の敗戦後はアメリカによる国連信託統治を経て、1986年のミクロネシア連邦独立に至る。

日本との関わり

米国の植民地、フィリピン太平洋艦隊母港の真珠湾を結ぶライン上に位置するという地理的重要性と、太平洋の荒波から環礁によって隔離された広大な内海という泊地能力の高さから“日本の真珠湾”ないし“太平洋のジブラルタル”とも呼ばれ、日本海軍の一大拠点が建設された。この大環礁を基地化したことで、海軍は予想艦隊決戦海域を小笠原沖からマリアナ沖へと前進させるなど、基本戦略に大きな影響を受けた。


1941年に入ると武装化に拍車がかかり、竹島飛行場は陸上攻撃機の離着陸が可能なように拡大整備され、夏島には水上機基地が設けられた。島々の各所には要塞砲が設置され、3万トンの重油保管タンク、4,000トンの航空燃料保管タンクの設置も進められた。「小松」や「南国寮」などといった有名な海軍料亭の支店もあり、将校の接待や会談にも使用された。

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