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見えない経済と カニ
うちでよく 母親が好き嫌いで 父親と言い合いをしている 母親は農家育ちの為 野菜とか果物で育ち 父親は漁港育ちなので 魚の文化
母親が用意するものは 野菜を多めに出すと 父親が怒る 「こんなに野菜はいらん」
昨日ホタテを近所に貰って ホタテばっかり食ってた・・w
まあ 私は肉が好きなので 母親の悩みは 何作ろうかと毎日悩んでる・・
私の 好きなものを中心に作ると 父親が 「ムスコ優先に作りやがって」
父親優先に作ると 私は青魚は好きなので食べるが 白魚にはあんまり興味を持たない
まあ そんな家庭に育つと3人で 話すともめる・・w
ただ いいことは 何でも食えるのがうちの家庭なので 食うものには残すものはなくなるので
それは 正直有難い 人間自分が好きなものの知識は溜まるので 野菜は母親 魚とか貝は父親が詳しい 「はっかくって魚知ってるか?」 まあ そんな会話・・
昔は 様々な町で特産物があったが 交通の整備とか 車の保有数もなかったので 好き嫌いは当然どこの家庭でも存在する
都会だと 貨物列車も 車も豊富だが 田舎は トラックが主流 高度成長期なるまでは
流通が発展しないため どこの過程も好みは出る
母親は ピーマン貰って 丸ごと父親に渡す 元元 昔はピーマンも苦かったのか
父親にとっては 苦いイメージのまま 大人になってるので 丸ごと出されると イメージが先行してるので 食うだけでも苦痛らしい 単純に料理の仕方で好き嫌いの克服できるのに
野菜好きの母親は 野菜嫌いの父親の気持ちがわからない・・w
そもそも ピーマン嫌いになる理由は 子供の頃は 苦味の感覚が繊細なため起こるとか聞いたことがある 毒か毒でないかを判断するために 下の味覚の感覚が苦味が残るらしい
まあ 小さい頃の好き嫌いは 大人になってから大抵は 消えるはずなんだが トラウマとして残る 「親父 ガダルカナルいけよ」て いっても 当然知らんだろうし
食えなくなると 好き嫌いはなくなるのだが ばあちゃんは典型的ないい人で どんなことがあっても 食えなくさせることはしないという育て方だったらしく
粉から うどんをこねたり 小麦粉から 偽ミルクを作る人w
こういう家で できたカレーは 昔からシーフードカレーだったらしい
かっこよく聞こえるが 単に 豚肉は当時その町では高価だったらしく 最大の贅沢が イカとか 油揚げが入った カレーだたらしい ・・w
まあ カレーはカレーでも 父親は カレイが好物・・
私の町は 野菜も肉も魚も取れる町なので 生まれた時から 私も食い物に苦労はしたことないが 東京に出てた時 食えない時期に 田舎から送られてくる食い物に 救われた
一人ぐら暮らしをしている時期に 野菜を贈ってもらったりしたおかげで 料理を覚え
カレーとかを一週間腐るまで食ってたし チャーハンを作ってたので 料理を覚えた
貧乏な時期は カップヌードルと 納豆ばっかり食って 時々の贅沢が牛丼
まあ 食えなくなった 経験を持つ人しか 体験できない経験が 役に立って 料理を知らない彼女ができても 料理を作ってやることや 買い物をすることのテクを覚える
東京に住んでたとき 会社勤めで 一番約にたったのは 東京の人間が好む イクラ メロン カニ・・w 大抵 東京で売ってるもので 高価で贅沢な品が 北海道では昔から食ってるお菓子みたいなもので 私はそんなに価値がなくとも 同僚や東京の人にはバカウケするもので
感謝され それで 店の雰囲気がよくなったり 話題でもりあがったりする
動画で昔 みたが 見えない流通 実際 テレビや 政治家の間で話をする話は 数字としてしか出てこないデータを元にいろいろな話をするが 新潟の米など 田舎が新潟の人には分からないが 東京に出てくると 新潟の米や 秋田の米は 価値があがる
それを やりとりしながら 食費の足しになったり 交流のネタになるのだ
カツゲン とか やきそば弁当 ホンコンやきそばも 北海道人にしか わからない 一種の暗号・・w
うちの町の 漁港に遊びにいくと 時期はいつだたったか 不明だが カニをでかい窯でゆでてました
うちの町は 毛ガニ カニの味が濃くおいしいです・・w
北海道は 広いので地域によって 取れるカニが違うようです
時期になったら そんな話も 国道沿いに壁画が見えるあたりにくると わかるんじゃないかな
母親が用意するものは 野菜を多めに出すと 父親が怒る 「こんなに野菜はいらん」
昨日ホタテを近所に貰って ホタテばっかり食ってた・・w
まあ 私は肉が好きなので 母親の悩みは 何作ろうかと毎日悩んでる・・
私の 好きなものを中心に作ると 父親が 「ムスコ優先に作りやがって」
父親優先に作ると 私は青魚は好きなので食べるが 白魚にはあんまり興味を持たない
まあ そんな家庭に育つと3人で 話すともめる・・w
ただ いいことは 何でも食えるのがうちの家庭なので 食うものには残すものはなくなるので
それは 正直有難い 人間自分が好きなものの知識は溜まるので 野菜は母親 魚とか貝は父親が詳しい 「はっかくって魚知ってるか?」 まあ そんな会話・・
昔は 様々な町で特産物があったが 交通の整備とか 車の保有数もなかったので 好き嫌いは当然どこの家庭でも存在する
都会だと 貨物列車も 車も豊富だが 田舎は トラックが主流 高度成長期なるまでは
流通が発展しないため どこの過程も好みは出る
母親は ピーマン貰って 丸ごと父親に渡す 元元 昔はピーマンも苦かったのか
父親にとっては 苦いイメージのまま 大人になってるので 丸ごと出されると イメージが先行してるので 食うだけでも苦痛らしい 単純に料理の仕方で好き嫌いの克服できるのに
野菜好きの母親は 野菜嫌いの父親の気持ちがわからない・・w
そもそも ピーマン嫌いになる理由は 子供の頃は 苦味の感覚が繊細なため起こるとか聞いたことがある 毒か毒でないかを判断するために 下の味覚の感覚が苦味が残るらしい
まあ 小さい頃の好き嫌いは 大人になってから大抵は 消えるはずなんだが トラウマとして残る 「親父 ガダルカナルいけよ」て いっても 当然知らんだろうし
食えなくなると 好き嫌いはなくなるのだが ばあちゃんは典型的ないい人で どんなことがあっても 食えなくさせることはしないという育て方だったらしく
粉から うどんをこねたり 小麦粉から 偽ミルクを作る人w
こういう家で できたカレーは 昔からシーフードカレーだったらしい
かっこよく聞こえるが 単に 豚肉は当時その町では高価だったらしく 最大の贅沢が イカとか 油揚げが入った カレーだたらしい ・・w
まあ カレーはカレーでも 父親は カレイが好物・・
私の町は 野菜も肉も魚も取れる町なので 生まれた時から 私も食い物に苦労はしたことないが 東京に出てた時 食えない時期に 田舎から送られてくる食い物に 救われた
一人ぐら暮らしをしている時期に 野菜を贈ってもらったりしたおかげで 料理を覚え
カレーとかを一週間腐るまで食ってたし チャーハンを作ってたので 料理を覚えた
貧乏な時期は カップヌードルと 納豆ばっかり食って 時々の贅沢が牛丼
まあ 食えなくなった 経験を持つ人しか 体験できない経験が 役に立って 料理を知らない彼女ができても 料理を作ってやることや 買い物をすることのテクを覚える
東京に住んでたとき 会社勤めで 一番約にたったのは 東京の人間が好む イクラ メロン カニ・・w 大抵 東京で売ってるもので 高価で贅沢な品が 北海道では昔から食ってるお菓子みたいなもので 私はそんなに価値がなくとも 同僚や東京の人にはバカウケするもので
感謝され それで 店の雰囲気がよくなったり 話題でもりあがったりする
動画で昔 みたが 見えない流通 実際 テレビや 政治家の間で話をする話は 数字としてしか出てこないデータを元にいろいろな話をするが 新潟の米など 田舎が新潟の人には分からないが 東京に出てくると 新潟の米や 秋田の米は 価値があがる
それを やりとりしながら 食費の足しになったり 交流のネタになるのだ
カツゲン とか やきそば弁当 ホンコンやきそばも 北海道人にしか わからない 一種の暗号・・w
うちの町の 漁港に遊びにいくと 時期はいつだたったか 不明だが カニをでかい窯でゆでてました
うちの町は 毛ガニ カニの味が濃くおいしいです・・w
北海道は 広いので地域によって 取れるカニが違うようです
時期になったら そんな話も 国道沿いに壁画が見えるあたりにくると わかるんじゃないかな
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