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第55師団 (日本軍)

第55師団 (日本軍)

第55師団(だいごじゅうごしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。四国四県を徴兵区とする常設師団として、1940年(昭和15年)7月10日に留守第11師団を基幹に善通寺で編成された[1][2]


師団は編成後当初は善通寺に在り、中部軍に属していたが、師団主力は太平洋戦争開戦に伴い動員され、第15軍に属しビルマの戦いに従軍した。第一次アキャブ作戦では多大な戦果を挙げた。


1944年(昭和19年)1月、新設された第28軍に属し第二次アキャブ作戦に参戦したが敗退。イラワジ河に後退し、第38軍隷下となり仏印に移動。プノンペン付近で集結する中で終戦を迎えた。

南海支隊

1941年(昭和16年)11月15日、第55歩兵団司令部、歩兵第144連隊、山砲兵第55連隊第1大隊、第1野戦病院などにより堀井富太郎少将を長とする南海支隊が編成された。支隊は開戦後、グアム島攻略ラバウル攻略に従軍。1942年(昭和17年)7月に始まったポートモレスビー作戦の担当となり、第5師団から歩兵第41連隊と、マレー作戦に投入された独立工兵第15連隊が追加配属された。


同年8月、支隊主力はニューギニア島ブナ地区のバサブアへ上陸しポートモレスビーを目指した。同年9月ポートモレスビーまで約50キロのイオリバイワを占領したが補給が途絶え撤退し、米豪軍の反撃により壊滅的損害を被った[3]1943年(昭和18年)11月、200名ほどの生存者が第55師団に復帰した。

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