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田母神俊雄 軍事評論家
田母神俊雄
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年7月22日 - )は、日本の軍事評論家[1][2]、頑張れ日本!全国行動委員会代表、予備役ブルーリボンの会顧問。元航空幕僚長・元空将。
来歴
生い立ち
福島県郡山市田村町の農村に生まれる。幼少期は、いわゆる「悪ガキ」であったが、真面目で厳格な父親のもとで育てられ、父親や周囲の人間から強く怒られるなかで自身の倫理観を築いたという。小学校5年生の時には東京へ行き、このとき初めて明治神宮や靖国神社を訪れた。田母神は、これらの幼少期の経験を踏まえ、幼少期に責任意識を形成させることの重要性を自身の著書で語っている[3]。その後地元の中学校をへて福島県立安積高等学校へ進学した。
防衛省時代
(2008年8月19日)
(2008年8月19日)
福島県立安積高等学校から総理府防衛庁入庁(防衛大学校入校)。卒業後航空自衛隊に任官。職種は高射運用。 田母神本人は操縦資格を所持していないが、搭乗視察(後部座席に同乗)で戦闘機などに乗っており、総飛行時間50時間を記録している[4]。
第6航空団司令、統合幕僚学校長、航空総隊司令官を経て、2007年3月28日、航空幕僚長に就任。
2008年10月31日、自身の論文にて集団的自衛権の行使を日本国憲法違反とする政府見解や、1995年8月15日発表の村山談話と異なる主張をしたことなどが問題視されたことにより、航空幕僚長の職を解かれ航空幕僚監部付に[5]。
62歳定年の航空幕僚長たる空将(軍隊の大将相当)でなくなったことにより、一般の将(同中将相当)と同様の60歳定年が適用され、11月3日を以て定年退官となった。幕僚長たる将は定年退官の際に皇居に参内する慣習があるのだが、田母神は参内することができなかった。
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