[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
古谷経衡 評論家、著述家
略歴
1982年(昭和57年)11月、北海道札幌市生まれ。2001年(平成13年)、立命館大学文学部史学科入学。学生時代は、原発問題と同和問題を研究しつつ、サブカルチャーを扱う企業にも身を置いた。2008年(平成20年)、立命館大学文学部史学科を卒業。学生時代から在籍していた企業で引き続き勤務した後に退職し、2010年(平成22年)に千葉県を拠点に起業した。
太田工兵のペンネームでブログ「工兵小隊司令部」を運営[3]し、掲載した掌編『告訴状』がビーケーワン怪談大賞の「愉しませてもらいました賞」を受賞した[4]。
2010年(平成22年)より保守系行動団体である「頑張れ日本!全国行動委員会」の街頭宣伝活動や市民大会で演説活動する。2012年(平成24年)1月、『フジテレビデモに行ってみた! 大手マスコミが一切報道できなかったネトデモの全記録』が発売されヒットした[5]。2012年(平成24年)6月-2013年(平成25年)6月まで、オピニオン情報誌『ジャパニズム』(青林堂)編集長を務めた。
「ジャパニズム」も参照
現在はWILL、撃論ムック、歴史通など保守系雑誌へ精力的に寄稿し、若手保守言論人の一人と目されている。
活動
NHK総合に出演
2010年(平成22年)8月14日放送のNHK総合テレビ『日本の、これから〜ともに語ろう日韓の未来〜』に一般参加で出演した際、1910年(明治43年)の韓国併合について「列強諸国が世界各地の小国を植民地化していく当時の流れの中では、日本が大韓帝国を併合したことはやむを得なかった」との趣旨の発言を行った。それに対し映画監督の崔洋一は「当時の日本のイデオロギーは、そういう方向に流れていた。国そのものがそうなっていた。だけど、36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されるという考え方の人は、基本的に歴史を語る資格がない」と強い口調で反論した。それを崔の隣で聞いていた小倉紀蔵は「歴史問題というのは、どのような考え方もありうる。権力者が『あなたの考えは完全に間違い』と言詮封鎖してはいけない」と崔の発言を批判した。この模様はその後インターネット上を中心に波紋を広げた[6]。
この記事へのコメント