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ミャンマー
ミャンマー
ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく)、通称ミャンマーは、東南アジアに位置する共和制国家。1989年までの名称はビルマ。インドシナ半島西部に位置し、北東に中華人民共和国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラデシュ、北西にインドと国境を接する。首都はネピドー(旧首都はヤンゴン)。多民族国家であり[2]ビルマ族(人口の6割)の他、主なものとして、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ヤカイン族、シャン族の少数民族がある。
国名
正式名称のビルマ語表記は、。国際音声記号では、[pjìdàuɴzṵ θàɴməda̯ mjəmà nàiɴŋàɴdɔ̀](ピダウンズ・タンマダ・ミャンマー・ナインガンドー)。通称は、Myanma Naingngan(ミャンマー・ナインガン)。ビルマ語では、口語的な呼称としてBama(、バマー)、文語的な呼称としてMyanma(、ミャンマー)があり、ミャンマーでは古くからこの2つの呼称を使い分けている。
2010年以降の公式の英語表記はRepublic of the Union of Myanmar[3]。通称は Myanmar。
2010年以降の日本語表記はミャンマー連邦共和国。通称はミャンマー。
1948年から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国(公式の英語表記はSocialist Republic of the Union of Burma )、1988年から1989年まではビルマ連邦、1989年から2010年まではミャンマー連邦(公式の英語表記はUnion of Myanmar )。通称は、独立以前からビルマ連邦まで一貫して、ビルマ。漢語(北京官話)で緬甸と表記し、緬(読みは「メン」。泰緬鉄道など)と略する呼称が日本語でもそのまま使われた。日本軍統治(太平洋戦争)の間通称にされる。ビルマは、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされた。
イギリス統治時代
詳細は「英緬戦争」および「イギリス統治下のビルマ」を参照
一方、コンバウン朝ビルマは、イギリス領インドに対する武力侵略を発端とする3度に渡る英緬戦争を起こした。国王ザガイン・ミン(在位:1819年–1837年)治下の初期には、英緬間に緩衝国家としてアホム王国(1228年–1826年)が存在していたが、ビルマのアッサム侵攻(1817年–1826年)によってビルマに併合され、アッサムの独立が失われると、英緬国境が直接接触するようになっていた。ビルマは、インドを支配するイギリスに対してベンガル地方[5]の割譲を要求し、イギリス側が拒否すると武力に訴えて第一次英緬戦争(1824年-1826年)が勃発した。ビルマが敗れ、1826年2月24日にヤンダボ条約が締結され、アッサム[6]・マニプール・アラカン・テナセリムをイギリスに割譲した
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