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フロリダ諸島の戦い (ソロモン諸島
背景
日本軍は、1942年4月23日にニューギニア島東南岸のポートモレスビーを海路攻略する作戦命令(「MO作戦」)を発令した[1]。この作戦には攻略部隊が乗船した船団の輸送路(珊瑚海等)を水上機で哨戒するために、ツラギに基地を設営することが含まれていた[2]。ツラギ(フロリダ諸島)の攻略にあたったのは、呉第三特別陸戦隊を主力とした部隊であった。呉第三特別陸戦隊はトラック島で作戦準備を行い、志摩清英少将指揮する駆逐艦菊月、夕月、機雷敷設艦沖島、光栄丸、吾妻山丸から成る南洋部隊に輸送され、1942年(昭和17年)5月3日未明、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸し、同日中に三島を無血占領した。
占領と同時に基地の設営作業が開始され、この日の夕方までにオーストラリア軍の設備を改修して九七式飛行艇(以下、「大艇」と記す)6機、零式水上偵察機6機分の基地設営を完了し、3機の大艇が同日中にツラギ地区に進出した。しかし、5月4日に米空母「ヨークタウン」を飛び立った艦上機がツラギ地区に来襲した[3]。この攻撃により、駆逐艦菊月、第一、第二掃海特務艇、補給艦玉丸が撃沈され、日本軍の水上基地は破壊された。
その後復旧作業が完了し、7月上旬に再びこの地域に進出した横浜海軍航空隊はタナンボゴ島を拠点に哨戒任務にあたった。
1942年7月2日、米軍は対日反攻のため「ウォッチタワー作戦」を発動し、まずツラギの攻略とサンタクルーズ諸島(ガダルカナル島の東)への進出を8月1日に行うことにしてその準備を開始した。この準備中に、ガダルカナル島で日本軍が建設中の飛行場を発見したためガダルカナル島の攻略も同時に行うことになった。ガダルカナル島が追加となったので、その準備のため作戦の実施は少し遅らせて8月7日に決定された[4]。
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