[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
パプアニューギニア
パプアニューギニア
パプアニューギニア独立国(パプアニューギニアどくりつこく)、通称パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家。東南アジア諸国連合(ASEAN)の特別オブザーバーであるが、地理的にはオセアニアに属する。オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置する。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国。
国名
正式名称はIndependen Stet bilong Papua Niugini。通称 Papua Niugini。略称は PNG。
日本語の表記はパプアニューギニア独立国。通称はパプアニューギニア。他に、パプワニューギニア、パプアニューギニヤ、パプワニューギニヤ、という表記もされる。「パプア」と「ニューギニア」の間に、中黒(・)を入れることも多い。
パプアニューギニアは、元々あったパプアとニューギニアが合併してできた国である。パプアは、メラネシア人の縮れ毛を指すマレー語の言葉から来ている。ニューギニアは、メラネシア人がアフリカのギニア人に似ているところからスペイン人の探検家が名付けたものである。
パプアは領土の南側で旧イギリス領(のちにオーストラリア領)、ニューギニアは北側で旧ドイツ領(後にオーストラリア委任統治領)であった。
オランダ・ドイツ・イギリス植民地
19世紀の植民地主義の時代、1828年 ニューギニア島を東西に分割し、1848年に西半分をオランダが併合、1884年には東半分をオーエン・スタンレー山脈、ビスマルク山脈で南北に分け、ニューブリテン島などを含んだ北半分をドイツ、南半分をイギリスが獲得した。南部は1901年にイギリスから独立したオーストラリアに継承された。
オーストラリア委任統治領
1914年からの第一次世界大戦にドイツが敗北すると、ドイツ領ニューギニアであった島の東北部は、国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となった。
1941年からの太平洋戦争では、日本軍が1942年1月22日、ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、ポートモレスビー攻略を狙った。しかし、1942年5月に行われた珊瑚海海戦の結果、海からのポートモレスビー攻略を諦め、1942年8月にはソロモン海岸からオーエン・スタンレー山脈越えでポートモレスビーを陸路攻略する作戦が実行された。ここでも飢えとマラリアの為に多くの死者を出して撤退し、その後、制海権、制空権を失い補給を絶たれたニューギニアの日本軍は、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と謡われた凄惨な戦場となった。
この記事へのコメント