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アリューシャン方面の戦い
アリューシャン方面の戦い
アリューシャン方面の戦い(アリューシャンほうめんのたたかい)とは太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍とアメリカ軍のアリューシャン列島周辺で行われた戦い。
概要
日本側はミッドウェー作戦の陽動とウェーク島以東へ哨戒圏を前進させるため、アリューシャン方面への攻撃を行うことを決めた。1942年(昭和17年)6月3日から7日にかけダッチハーバーに対する空爆およびアッツ島、キスカ島の攻略が行われ日本軍は両島を占領した。これは、アメリカにとって第二次世界大戦における初の領土(植民地を除く)喪失であった。
これに対し、1943年(昭和18年)に入ってから、アメリカ軍は本格的な反攻を開始した。1943年5月12日にアメリカ軍はアッツ島に上陸した。領土奪還をかけて大規模な兵力を投入したアメリカ軍に比べて、防衛のために兵力を増強していたものの、既にこの島を重要拠点と見なさなくなっていたために小規模であった日本軍の守備隊は29日に全滅した。キスカ島の日本軍は7月29日に無傷のまま撤退した。
日本軍の攻撃
1942年(昭和17年)、日本軍はミッドウェー作戦実施の陽動や北太平洋からの本土空襲(ドーリットル空襲)の恐れをなくすことなどを目的としてアリューシャン作戦を行うことに決めた。5月25日、アリューシャン攻撃部隊は空母「隼鷹」、「龍驤」を中心とする空母2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦5隻の艦隊(細萱戊子郎中将、角田覚治少将)で大湊を出航した。
続いて巡洋艦2隻、駆逐艦3隻、輸送船2隻のキスカ島攻略部隊が5月28日、巡洋艦1隻、駆逐艦3隻、輸送船1隻のアッツ島攻略部隊が5月29日にそれぞれ出航した。アメリカ軍は暗号解読により日本軍の攻撃を知り、ロバート・シオボルド少将麾下の巡洋艦5隻、駆逐艦4隻をコジャック島方面に、駆逐艦9隻をウナラスカ島に配備した。
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