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アッツ島沖海戦
アッツ島沖海戦
アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)とは第二次世界大戦中、コマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦。連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(Battle of the Komandorski Islands)。1943年3月26日、アメリカ海軍が日本軍のアリューシャン列島方面への輸送を阻止しようとして艦隊を派遣したことで生起した。
背景
日本軍は1942年6月にアッツ島、キスカ島を占領したが、その直後からアメリカ軍は両島に対し攻撃を加えた。日本軍は輸送作戦を繰り返し行い両島の守備を強化していった。アメリカ軍は1943年1月にはキスカ島南東のアムチトカ島に飛行場を建設し空襲を強化した。また、2月にはチャールズ・マクモリス少将が指揮する艦隊が進出し、日本軍の輸送船を攻撃しはじめた。このため、この方面を担当する日本海軍第五艦隊(細萱戊子郎中将)は全力で輸送船の護衛にあたることとなった。3月上旬には1回目の輸送が行われた。続いて3月22日、輸送船2隻が重巡洋艦那智、摩耶などに護衛されて占守島幌延を出航した。マクモリス少将も日本軍の輸送を予想し、重巡洋艦ソルトレイクシティなどからなる艦隊でアッツ島沖を遊弋していた。
戦闘
3月27日未明、重巡那智・摩耶、軽巡多摩・阿武隈、他駆逐艦4隻及び輸送船団3隻(アッツ島守備部隊隊長山崎保代陸軍大佐同乗)からなる日本艦隊と、重巡ソルトレイクシティ、軽巡リッチモンド、他駆逐艦4隻のアメリカ艦隊は、互いを警戒していたものの偶然遭遇し、双方に艦隊に航空攻撃や潜水艦による攻撃は行われなかった。日本艦隊は護衛してきた輸送船を退避させ、アメリカ艦隊に接近した。
同27日3時40分、互いが徐々に距離を詰め、ほぼ同時刻に射撃を始め、砲撃戦を主体に戦闘が展開された。アメリカ艦隊のマクモリス少将は迎撃する日本艦隊を無視して輸送船の撃滅を狙う。細萱中将はこれを阻止するため突撃を下命するが、双方とも高速発揮が可能な巡洋艦部隊であり、雷撃に失敗した。
しかし、5時過ぎに日本艦隊の砲撃を受けたソルトレイクシティは機関室に漏水が発生、機関が一時停止したため、マクモリス提督は退避を決定した。その後、2時間に渡って追撃戦が展開されたが、アメリカ艦隊の駆逐艦に煙幕や雷撃で追撃を妨害された。7時頃、細萱中将は旗艦の損害及び空襲、そして艦隊の燃料不足を警戒し、ソルトレイクシティの撃沈まであと一歩のところで撤退を決定、アッツ島への輸送も中止された
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