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高麗

高麗



高麗(こうらい)は、918年王建(太祖)が建て、1392年まで続いた朝鮮半島の国。都は開城


元来「高麗」は高句麗の後期における正式な国号であり、当時の日本や中国でも高句麗を「高麗」と称していたため、現代中国では区別のため王氏高麗と呼ぶこともある。


西洋語において朝鮮を表すKoreaCoreeなどの語源となった。



歴史[編集]

建国[編集]

新羅は朝鮮半島を統一したが、しかし8世紀末から9世紀まで王位継承戦争が起き、地方でも農民の反乱が起き、混乱を深めて行った。この乱れは真聖女王の時に一層激しくなり、地方の有力な豪族たちが新羅を分裂させた。892年、半島西南部で甄萱(けんけん、朝鮮語: 견훤(キョンフォン))が後百済を建国し、901年には弓裔(きゅうえい、朝鮮語: 궁예(クンイェ))が泰封を建国した。これ以降を後三国時代と呼ぶ。


高麗史』によると、王建の先祖は白頭山を越えて南側(開城)へ移住して来た昔の高句麗の大族だったとされているが、2007年に中国の研究者から朝鮮に移住した漢人の末裔という新説が出されている[1]。王建は後百済との戦争で何度も勝利し、立派な人格で群臣たちの信望が厚かった。しかし弓裔には嫌われ、命を狙われそうなこともあった。弓裔は宮殿を再建したため、動員された民衆の不満が高まった。また自分を弥勒菩薩と呼ばせて観心法で人の心を見ることができると言い、反対派を粛清した。王建は弓裔の暴政に対して政変を起こし、918年に高麗を興した。朝鮮半島は高麗と後百済の戦争が続き、分裂したままかと思われたが、935年、後百済の王の甄萱が四男に王位を継がせようとして長男の神劍(後百済の第2代王)に反乱を起こされた。神劍は甄萱を寺院に監禁し、王位を奪った。結局、甄萱は935年6月、後百済から逃げ出して高麗に亡命した。王建は甄萱を国賓として迎えた。同年11月、新羅の敬順王が君臣を挙げて高麗に帰順した。高麗は936年に後百済を滅亡させ、朝鮮半島は高麗によって統一された。

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