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服部正就
生涯
父の死により、服部家の家督、服部半蔵の名と、伊賀同心200人の支配を引継いだ。しかし、正就は、徳川家から指揮権を預けられたに過ぎない配下の伊賀同心を、さながら自分の家来であるかのように扱った。そのため伊賀同心は反発し、慶長10年(1605年)12月、四谷長善寺(笹寺)に篭って正就の解任と与力への昇格を要求する騒ぎに至った。このため、正就は役を解かれた。
正就は逆恨みし、伊賀同心の首謀者10名に死罪を要望。そのうち、逃亡した2名中1名を探し出して切り捨てたが、別人である事が分かり、完全に職を失うこととなった。そして正就は、妻の父である伏見藩の松平定勝の下に召し預けられた。
その後、名誉挽回を狙い、松平忠輝の軍に属して大坂の陣に参加するも、行方不明となる(『寛政重修諸家譜』は天王寺口で討ち死にとする)。
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