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ニュージョージア島の戦い

ニュージョージア島の戦い

ニュージョージア島の戦い(ニュージョージアとうのたたかい)とは、太平洋戦争大東亜戦争)中のソロモン諸島を巡る戦闘の一つで1943年6月30日米軍が上陸して始まった

背景

1942年7月2日アメリカ軍はソロモン諸島における反撃作戦「ウォッチタワー作戦」を発動、8月7日にはガダルカナル島に上陸しガダルカナルの戦いが始まった。同年12月、ガダルカナル島での戦いを支援するため、ニュージョージア島西部のムンダに飛行場を建設し海軍航空隊252空が進出したが、連合軍の激しい空襲により翌年1月には航空隊は撤退した[1]。 同年12月31日に日本軍はガダルカナル島からの撤退を決定したが、その後のソロモン諸島の防衛線をどこに置くかで陸海軍の意見が分かれた。陸軍はラバウルまでの後退を提案したが、海軍は制海権の確保のためソロモン諸島中部に防衛線を置くことを主張した。結果的に海軍の提案が採用され、1943年2月に海軍の第8聯合特別陸戦隊4000名と設営隊3600名、陸軍の南東支隊(佐々木登少将。第38師団の歩兵第229聯隊など6000名)がニュージョージア島に派遣されムンダの防衛を強化した。うち陸軍の多くは、ガダルカナル島から撤退してきたばかりの消耗した部隊であった。


しかしすぐに米軍の航空攻撃を受け輸送船2隻を喪失、早くも物資不足に陥ってしまった。補給のためラバウルより鼠輸送として駆逐艦2隻が派遣されたが、米艦隊に迎撃されビラ・スタンモーア夜戦で輸送部隊は全滅した。3月には、ソロモン諸島での海上優勢を取り戻すべくい号作戦が発動されたが、米海上戦力に大きな損害を与えられず失敗した。ラバウルの航空部隊は消耗してしまい、補充もままならなかった。しかし米軍はニューヘブリディーズ島から航空機を補充し、ソロモン各地で約500機の戦力を維持していた。ソロモン諸島における日本軍の劣勢は決定的なものとなった。


このような状況の中、米軍はムンダ飛行場を攻略しこれを自軍の飛行場として使用するためにニュージョージア島侵攻作戦を発動した。ニュージョージア島侵攻はガダルカナル島の防衛に成功したアメリカ南太平洋軍(司令官はハルゼー海軍大将)がソロモン諸島沿いにラバウルに向かう反攻の最初の大規模作戦であった。

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